愛を届けた日のこと。
「一緒にゲームやりませんか?」て言うことって、俺にとっては告白やねん。
隣で歩く白いシャツの男性が言う。
心地よい風が頬をくすぐり、髪を通り抜ける。
空が青から橙に変わりゆくのを眺めながら、わたしたちは駅に向かって歩いていた。
彼は、ゲームをする人だ。
丸いコマを指で弾いたり、しりとりを考えたり、同じカードを揃えたり。
ゲームは 言葉や世代を越えて、空間をまるっとひとつにする。
「ゲームをしませんか?」
そう尋ねることは、同じ空間を共に過ごしませんか?と同じ意味。
本当に相手が好きだったり、もっと一緒にいたいと思えたりするからこそ、この言葉が出てくるのだという。
それくらい、一緒に時を過ごしたいと思えること。
そしてそれを伝えようとすること。
想いが通じ合えばいいなと願うこと。
まさに、愛の告白だ。
でもそう考えると、シュウカツも愛の告白じゃないだろうか。
あなたと一緒に働きたいんです。
あなたと共に過ごしたいんです。
あなたのここがいいなって思ったんです。
あなたとなら、素敵なミライが見えるんです。
確かに、その通りかもしれない。
愛を届けに行くときに、自分をよく見せてみる?
いやいや、そんなの自分じゃない。ほんとの自分を好きになって欲しいんだ。
愛を届けるために、いい言葉を並べてうまく言わないといけないの?
そんなことない、自分の言葉で、ありのままに。その方がきっと伝わるよね。
愛を届けるって不安じゃない?
そりゃあ不安だよ、当たり前。でも届けたらきっと伝わるよ。言わなきゃ伝わんないんじゃない?やるなら全力で、やれよ。
溢れる想いに歯止めはかけない、たくさんたっぷり伝えるんだ。
泥臭くてもいい、着飾らなくていい、ありのままのわたしで、わたしができる表現で、あなたに全力で届けるんだ。
丸裸で、飛び込んでやれ。
昨日、黄色の服を着たわたしは、トウキョウのでっかいビルに行ってきた。愛の告白をするために。
大好きなバナナのTシャツを着て、この春に買ったばっかりのお気に入りのスニーカーを履いて、いつものわたしで飛び込んだ。
残念ながら、シュウカツというものには、合格と不合格がある。ひとつの会社で取りたい人には限界があるから。
愛は届いても、「ちょっとタイプじゃないかも」とか「他の子の方が魅力的かも」って相手が感じることもあるだろう。
でもね、そんなこと考えずに、目の前の人にただただ愛を届けたら、めちゃくちゃ幸せになれたんだ。
あんなに幸せだとおもった面接は今までにない。気づいたら泣いてたくらい、わたしは全身でわたしを表現していた。
トウキョウでの1日はあっという間だった。
泣いて愛を届けるのにエネルギーを使ったからだと思うけど、最後の最後に大好きな人から愛の告白を受けたもんだから頭がパンクして、もう整理がつかなかった。ふう。
(この話は、まだ消化できてないからまた今度。)
やっとちょっと整理できた、愛を届けるとシュウカツのこと。
やっとちょっと見えてきた、わたしの告白の仕方、わたしの生き方。
まだまだ歩いてる途中だけど、まだまだ完璧じゃないけれど、そんな自分も好きだから。
悪戦苦闘しながらもちょっとずつ進めてる自分がいるのを、わたしが一番信じてるから。
今日はここに残しておこう。
愛を届けた日のことを、ちょっと整理できたわたしが書いた、今日だから生まれた「中途半端な」日記。
完璧じゃないと生きれなかったわたしは、できないも見せれるように、なれた。