交換日記。

とおくに住んでる4人が、交換日記を始めました。心はきっと、隣にいる。⋮ かごしま ⇄ こうち ⇄ しが ⇆ みやざき ⋮

22歳のお母さん

 

f:id:kokannikki:20181129132316j:plain

 

 

 

 

 

母から届いた誕生日メッセージに、

 

「お母さんも、22歳のお母さんやね!おめでとう、いつもありがとう」

 

と返信した。

 

 

 

 

すると母から、

 

「こちらこそ楽しませてくれてありがとう。健康と夜道には気をつけて頑張ってね!」

 

と。

 

 

 

 

楽しませてくれてありがとう、って言葉が嬉しくて、バイト帰り電車でちょっと泣いた。

 

 

  

「優しくて愛のあるハッピーなお母さん。

 こちらこそ、いつも楽しませてくれてありがとう。」

 

 

 

 

ふと思ったことなんだけど。

「たのしかったけどすごいつかれた」

東京にボードゲームを買いに行った友達が、こんなことを口にした。

 

「とってもわかる」「それめっちゃ思う」
そう口にしたらぶわっと思考が広がった。


好きなものに触れること
同じ趣味を持つ人に会うこと
知らない街に降り立つこと
自分の足であるくこと

 

どれも楽しくて、わくわくするけど、ちょっと疲れちゃうことがある。

だれかの悪口を言いつづける友達とか、電車の中で横柄な態度をとる人とか、声掛けとか全くない道端とか。

いままで気にならなかった些細なことに、気づいちゃったり反応しちゃったり。
アンテナが高くなったのかな、いや、過敏になっているのかも。

 

「ここがあったかすぎるんだよ」
友達がそう言った。

 

そうか、あったかすぎるのか。

 

おはよう、ただいま、ごちそうさまでした。
ありがとう、ごめんね、うれしかったよ!

思ったことをちゃんと伝えて、優しく柔らかく向き合うお家。
心遣いがほどよくて、みんなが「あったかい」を愛してる。

 

毎日あったかいお家にいるから、たまに外で触れるつめたいものに、ドキッとしちゃうのかもしれない。

 

でもたぶん、私たちはあったかいお家にいることで過敏になってなんかない。

 

感情が、心がどんどん豊かになってるんだと思う。

 

豊かになるから冷たさに気づけて
冷たさに気づけるから自分を振り返って
自分を振り返るからよりもっと「あたたかい」を大事にしようと動くんだ。


外に出なくなることはないと思う。
これからも疲れたとか言いながら、外には出ると思う。

 

だって、自分の心をより豊かにしたいから。
冷たさもあったかさも知っておきたいから。
何よりもその先にあるいろんな、いろんな出会いを楽しみにしてる自分がいるから。

 


ちょっと疲れた時に、ただいまって帰れるところがあること。

こんなことあったよって伝える人がいること。

わたしのお家があるって思えること。

そんなお家があること。

 

ひとつひとつが重なり合って、わたしは一層彩を増してる気がするなあ。


たくさんの感謝とか、愛とか、わかんないけどムフムフしちゃう気持ちとか。

全部全部つめこんで、毎日扉を開ける時に、おっきい声で挨拶する。

 

あったかいお家と、お家にいる大好きな人と

お家に関わってくれてる世界すべてに。

 

「ただいまー!」

ほら、おかえりって帰ってくる。

 

わたしに、大事な居場所ができた。

 

なんかちょっといつもより、前見て歩けそうな気がする。

最近、こう思うことが増えて、また幸せがひとつ増えた。

 

f:id:kokannikki:20181126185033j:image

おいしいごはん

ごはんの味がしなくなった。

 

まあ疲れるとよく起こることだ。

何を食べてるかわからなくて、食べてる意味もわからない。どんどん食べなくなっていって、あっという間に体調を崩す。

 

よく起こるこの現象に慣れたのか、わたしはこれを解決する方法を知った。

 

それは、だいすきなひとと、ごはんを食べること。

 

だいすきなひとの「うま〜!」って顔を見たり、だいすきなひとと「おいしいねー!」って言い合ったりすると、

ほんとうにごはんの味がするし、食べるっていいなって思える。

 

いっしょにごはんが食べれるこの時間って幸せだなあ、このひとと出会えてよかったなあ、なんてことも思う。

 

 

わたしは、話すことが苦手だ。とくに、疲れてる時やしんどい時に、話すことが苦手だ。

話したくて吐き出したいのに、言葉が突っかかって出てこない。出てこないって焦って頭が真っ白になる。

 

ごはんは、とってもいい場所にいる。

わたしとあなたの間にいて、わたしとあなたの目がそこにいって、わたしとあなたを美味しいで繋ぐ。

 

苦手だけど、話したい。

そんなめんどくさいわたしの心を、ごはんはぎゅっと繋いでくれるのだ。

 

だいすきなひとと、ごはんを食べること。

 

それは、自分がぽっと自分を出せる時間でもあるんだと思う。

 

「いただきます」

「うま〜!」

「おいしいねーー!」

「一緒にごはん食べれてよかった」

「ごちそうさまでした、美味しかったです」

 

ひとつひとつが、わたしのエネルギー。

ひとくちひとくちが、わたしのハピネス。

 

いつも大事にしてるけど、いつもよりちょっと丁寧に。

「いただきます」と「ごちそうさまでした」を伝えて。

 

 

さあちょっと、がんばりますか。

 

日常がまってる外に向かって、そっとドアを開け放った。

 

f:id:kokannikki:20181110214724j:image

 

https://twitter.com/bremen555/status/1060515663423270922?s=21

そらをみる。

スマホを替えた。と同時に、4年間のデータが消えた。

一瞬でどこかに飛んでって、あまりにも一瞬で呆気なかった。

 

今までのやり取りとか残ってるなら、すぐに返事もできるし、気になったこともパッと遡れるだろう。

 

でも、何も残っていないのだ。小さな画面を見ることの意味がわからなくなった。

 

久しぶりにそらをみる。

びゅんびゅんすぎてく電柱と小さく見えるたくさんの家。歩いている人、小学校、広い田んぼに、あおいそら。

 

ずっと下を見ていたな。

当たり前のことに気づく。広いあおいそらがこんなにも近くにあるのに、小さな画面に囚われてた。

 

わたしの住んでいる滋賀県は、山にぐるっと囲まれてる。

遠くに見える山並みと、広い広い盆地の土地だから、なんったってそらがひろい。

 

電車に揺られながら、そんなあたりまえのことに気づいた自分がいた。

 

 

 

ひろいひろいそらのした

そこにあるけしきにめをむけて

いっぱいいっぱいしんこきゅうしよう

 

ひろいひろいそらのした

そらのずっとむこうにいる

だいすきなともをおもいだそう

 

げんきですか、なにしてますか

きょうもやさしくあたたかいですか

 

わたしは、わたしは、

 

 

f:id:kokannikki:20181031112705j:image

 

秋朝

f:id:kokannikki:20181017141121j:image

 


少し開けた窓から


冷たい空気が染み込んで


火照った肌を心地良く包み込む。

 


それから少し経って


私の熱をすっかり含んだはずの


空気はまだ冷たい。

 


たまらず布団を被る。


段々と火照る肌


一向に冷たいほっぺた。

 


もしまた私を晒したら


きっと心地良いのは一瞬で


またここに戻ってくるのだろう。

 


足先だけ出してみる。


右腕だけ出してみる。


今度は左脚を。

 

 

何やってんだか。

 

微睡みの中でつぶやく声は


誰の耳にも届かない、私だけのもの。

 

 

ここにいて

f:id:kokannikki:20181003205659j:image

 

息がうまくできない。

空気が空っぽみたい。

 

きっと、見てくれだとか

嫌いとか好きとか

価値観とか

そういうものはどうでもよくて

 

ここに在るもの。

真実はただそれだけ。

 

自分が何を信じたいのか。

それが”自分にとっての”真実になる。

ただそれだけ。

 

ひとつひとつの言葉の先には、人がいる。

一枚一枚の写真のこっち側にも、人がいる。

 

自分はここにいる、ただそれだけのことなのに

一番大切なことを人混みの中に置き去りにして

いつの間にかすり違えてしまった。

 

私にとっての真実は

彼に

どうしようもなく心惹かれる、ということ。

 

何色の冬がおわって

あなたはいなくなるの?

 

どうか彼が救われますように。

 

 

 

 

 

本当は転がされてるの分かってるけど。

ドット

 

f:id:kokannikki:20181001000005j:image

 

 


怖いと思った。

 


いつか、私の世界のドットが粗くなって

 


道端の雑草も

 


海と空の境目も

 


肌をかける風も

 


見えなくなる時がくるんじゃないか。

 


いろんな知識が入ってきて

 


いつの間にか ぎゅうぎゅうになって

 


何も生まれなくなる時がくるんじゃないか。

 


きっとあの頃、手のひらいっぱいに広げていたものを

 


今の私は掬うことができない。

 


掬うどころか、粗いドットじゃよく見えない。

 


もう忘れたくない。

 


鮮明に、世界を見ていたい。